2018年11月28日、「障害者の経済学」という本の著者である長島隆信氏の講演会に参加して参りました。
私自身の大学でのゼミ専攻(研究テーマ)は【障がい者の為の就労支援】で、
これは私が生涯かけて取り組みたい事柄の一つです。
因みに卒業論文は発達障害と才能〜当事者の強みを活かす支援体制とは〜という題で執筆致しました。
そもそも私が障がい者の就労支援を生涯のテーマとし始めた理由は
障がいを持つ身内がいる事と、中学生の頃に体験したある事がきっかけでした。
忘れもしない中学二年生の頃、私は生徒会に所属していました。
特別支援学級が併設されている中学校でしたので、折角だったら特別支援学級の生徒達と一緒にお昼を食べたり交流を深めて仲良くなりたいと昼食会を企画しました。
軽度の知的障害を持つ同級生のS君は、小学校は普通学級で一緒に遊んだ事もある仲でしたが、中学校からは特別支援学級へ移った為接する機会が少なくなっていました。
昼食会で将来の夢の話になり、何となくS君に将来の夢を聞くと
「んー、大人になったら働いてお金を稼いで、お母さんを旅行に連れて行ってあげたいんだ。」
と。ごく普通の日常会話でしたが、私はこの一言が胸に突き刺さりました。
そして私は人目を憚らず泣いてしまいました。
なぜ、なんでこんな事で泣けてしまうんだろう?
それは、「障がいを持つ人が働いてお金を稼ぐ事」がどれだけ難しいか、親孝行をする為にどんな苦労しなければならないのか、身内に障がい者がいる身として、何となく感じていた事がはっきりと明らかになってしまったからでした。
その日の夜、布団の中で「私は将来日本の社会福祉に貢献する。障がい者とその家族に、生まれてきて良かった、将来も安心して暮らせる、と心から思える社会の仕組みを作る。」と心に決めました。
同年にタイ・バンコクへ移住、インターナショナルスクールへの転校が決まりましたが、海外での生活を通じて、日本の福祉の想いがより一層強いものとなりました。
発展途上国(タイはアジアでは発展している方ですが)と比べて日本は豊かであるのにも関わらず、福祉に関しては決して豊かではない。
それは支援策、情報が広く公開されていない点、社会の風潮や人材など、あらゆる面においてそう思いました。
インターナショナルスクールでもボランティア活動(Community Service)を精力的に続け、4年間の間に累計100時間を超える活動を行いました。
スクールカウンセラー(海外では担任の先生という制度が無いため、生徒1人に対し1人のスクールカウンセラーが付き、あらゆるサポートをしてくれます)から、
「生徒会にも入ったし、スポーツも精力的に頑張っているので高校を卒業したらこのまま海外の大学に入学したらどうか?」と助言がありましたが
「いえ、日本に帰って日本の福祉の勉強をします!」と言い切るほど想いは強くなっていました。
〜つづく〜